いずれ祖母が世を去れば


更新日時 : 2018年4月26日 12:47:45:JST

いずれ祖母が世を去れば

日本人は、いつの間にか、分不相応の贅沢《ぜいたく》に慣れてしまったのではないか。五年ぶりにニューヨークへ出掛けて行って、まず感じたのはそのことであった。
 手もとに一枚の領収書が残っている。三十四ドル二十四セント。Nレストランでの、二人分の昼食代がこれである。
 その日、私は、大手商社から派遣されている中堅クラスの駐在員に、昼休みを利用して話を聞かせてもらうことになっていた。
 ちょうど時分どきである。昼食を一緒にということになって、彼に店を選んでもらった。出掛けて行って驚かされたのは、ニューヨークの日本料理店の中で高級に属するこの店が、満席だったことである。予約をしなかった私たちは、しばらくのあいだ、入口で待たされたほどであった。
 三十四ドル二十四セントの中身は、別に取り立てていうほどのものではない。二人でトンカツ定食を注文した。それだけでは間が持てないように思えたので、刺身をつけてもらい、彼は水割りを、私はビールを飲んだ。
 私が支払った、日本円に直して一万円程度のものは、企業の接待費のセンスからすれば、どれほどでもない。いわば接待役である私は、それを負担には思わなかった。
 しかし、帰りがけに店内を見渡して、席を埋めている客の大半が、日本人の駐在員らしいと気づき、改めて落ち着かない気分にとらわれたのは事実である。二人で一万円という昼食代は、いかにも高過ぎはしないかと——。

 一九六九年から七〇年にかけて、私は新聞社のニューヨーク支局にいた。特派員としては落第だったが、その私に過ぎたものが二つあった。一つは、ロックフェラー・プラザというマンハッタンの一等地に建つAPビルディングの中に設けられたオフィスであり、もう一つは、クラジングトンという珍しい姓を持つ未婚のセクレタリーである。
 クラジングトン嬢はファーストネームをエリザベスといって、高校時代に日米交換学生として来日し、日本人の家庭に一年間住んだ経験を持つ。彼女を支局に雇ったのは、私の前任者であるM氏であった。話はいささかそれるのだが、その経緯《けいい》が面白いので、それを紹介しておきたい。
 M氏が初めて彼女に会ったのは、ケネディ空港であった。ニューヨーク支局に着任のため、タラップを降り立った彼は、ターミナルに足を踏み入れたとたん、エリザベスに声を掛けられたのである。
 後にエリザベスが語ったところによると、彼女はその日、東京からやってくる知人を迎えるため、空港に出向いていたのだという。
 驚いたのはM氏であった。見ず知らずのアメリカ女性から、いきなり声を掛けられたのである。しかも、日本語で。
「私、仕事捜してるの。あなた、私、いりませんか?」
 M氏はそれこそ、新しい任地に第一歩をしるしたばかりである。自分が預かることになるオフィスさえ、まだ見ていない。もちろん即答はできなかった。
 エリザベスがM氏に教えられた番号へ電話をかけてきたのは、その翌日であった。日本語をまがりなりにも話すアメリカ女性に、彼の食指は動いたが、彼女を雇い入れるとして、一つの障害があった。それは、支局経費の枠に、現地雇いの人件費が組み込まれていなかったことである。
 つまりは、あきらめるほかない。そのことをいうと、電話の向こうで、エリザベスは思わぬ台詞《せりふ》を吐いた。
「ああ、お金のこと。それ、心配ないよ」
 その日から、スポーツ・タイプのボルボを運転して、エリザベスの“通勤”が始まる。押しかけ女房というのはきいたことがあるが、押しかけセクレタリーというのは、寡聞《かぶん》にして知らない。
 彼女は、たいへんな資産家の令嬢だったのである。
 クラジングトン家は、コネチカット州にあって、東部の名家だというのが、エリザベスの自慢であった。なんでも、同じ姓のファミリーは、アメリカに三つとか、四つとかしかないのだときかされた記憶がある。
 私は訪ねたことがないのだが、M氏によると、クラジングトン家は、門を入って玄関に着くまで、車で十分だか、二十分だか走らなければならないという話であった。
 折り折りに、屋敷のうしろに広がる深い森で、キツネ狩りが催されるのだそうである。生活のありようとしては、イギリス貴族のそれなのであろう。
 この家を守るのは、エリザベスの母方の祖母ただ一人である。彼女の父親は、離婚してクラジングトン家を去り、母親は早くに逝った。その遺産は、一人娘であるエリザベスの相続するところとなり、管財あるいは財産運用のため、四人の専門家が彼女についているという。
 いずれ祖母が世を去れば、こちらの遺産もエリザベスに転がりこむ。その場合、彼女の資産総額は、いったい何桁《けた》になるのだろうか。彼女が不在の支局で、そんな詮索《せんさく》に私も加わった思い出がある。
 ニューヨーク支局に赴任した私は、M氏からエリザベスを引き継いだ。そのときの彼女の月給は三十ドルであった。
 この三十ドルというのには、わけがある。無給に甘んじていたエリザベスは、しばらくすると、M氏に「月給が欲しい」といい始めた。

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投稿者 : brandstory | 18/04/26 12:47 | 全体に公開
タグ : 生活 , スポーツ
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